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子どもたち

学生時代、モンゴルの乗馬ツアーに行ったことがあります

その旅行社は、なにもない平原に、ときどき移動しているというゲルのホテルをもっています
ゲルの生活ではふつうトイレがないのですが、日本の旅行社ですので、ゲルからすこし歩いたところにぽつんとトイレを設けていました




さて、そのツアーに、80代の女性がひとり参加していました
スレンダーでしゃんとしており、まったくスタッフに手間を掛けさせないどころか、乗馬の経験者コースにいて、どんどん遠乗りをするのです


しかし、それでも参加者のなかには彼女を毛嫌いする向きがあったようです

そうしたツアーの参加者には、定年後の男女がおおいわけですが、彼らにとって80代は親の世代にあたり、助けるべき対象ではなかったのか、トイレのドアの立てつけがわるくて、彼女が閉じ込められたと騒いだとき、だれも助けに行く気配がありませんでした

旅行に来てまで老人のパニックに付き合わされて、介護させられていてはたまったものではない、という気持ちもあったのかもしれません




わたしは、ひとり彼女のもとへ行きました
わたしは平原がすきです。老人のパニックに同情しないのがたとえ賢いありかただったとしても、その結果、彼女が平原とその旅行者たちをきらうようになるのは、いやだったのです


以後、彼女は初心者のわたしに気さくに話しかけてくれ、とても優しくしてくれました
甘やかしてナメられるどころか、尊敬されたのです








わたしはその旅行で同室となった中高年の人生を聞き、そうしたできごとにも遭遇しながら、おとなでも、じぶんよりさらにおとなの世代に甘えて、なんでもその世代のせいにし、助けようという気持がもてないことがあるのだ、と思い知りました


「おとな」と「こども」に単純に分けることはできません




わたし自身も成人済みで、おとなといわれるべきところですが、進学や就職、結婚などについて、両親や祖父母の汚い処世術、差別的な言動に幻滅し、憎むようになってしまっているのが実情です。彼らを何食わぬ顔して弱者を踏みつける、人類の敵だとおもえてなりません。だから、介護などしない、できればひとりで死んでほしいという気持があります

しかし、あのモンゴルでの体験をしてみると、いざ彼らが寝たきりになれば、結局はどこまでもかしづくことになるだろう、という確信的な予感もあるのです

もし結婚したら、その相手の家族に対…

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